再び、「怖い絵で人間を読む」中野京子【本】

- 作者: 中野京子
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2010/08/06
- メディア: 新書
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美術館を楽しむのに知識が必要だというのは理解したのだが、次に気になったのは、絵画鑑賞は人生に決定的な意味を持ち得るのか、持つとしたらどのようにか、という問題である。
意識したことはあまりなかったが、端的に言って、僕は絵画鑑賞を侮っている。あんなものは趣味でしかないと思っている。ここで趣味という言葉に込めたニュアンスを上手く言えないのだけれど、たとえば読書は、僕にとって趣味以上の何かだ。本は、暇つぶしや楽しい時間を過ごすために存在するツールではない。戦争や他の非常時のときはわからないが、このまま平和が続いていく限り、僕は今のようにそれなりに必死になって読書を続けるような気がする。読書が素晴らしい行為だと信じているわけではない。むしろ時々、こんなことをしていていいのか不安にさえなる。人生でやるべきことは山ほどあるのだ。楽しさということで言っても、読書家が読書の愉悦とか快楽とか言うほどに、僕は読書を楽しんでいない。僕がただ不感症なだけという可能性は否定できないが、読書という行為の性質は、それがある種の異物感を伴って身体を侵犯してくる瞬間に、もっとも際立った形で現れているように思う。一気に読める本は楽しいが、楽しいだけだ。こういうことは、時間が感覚的には無限にあり、読書が自明の行為だった大学院時代には考えなかったから、少しだけ今の不自由な環境がありがたいように感じる。
話が逸れた。絵画が決定的な意味を持つ空間を探しているのだった。本書には、アルノルト・ベックリンという画家が、ある未亡人から依頼されて描いた絵が載っている。未亡人は「夫の喪に服し、夢想するための絵が欲しい」という注文を出し、画家は「深い闇の世界へ入ってゆくご自身の姿を、あなたはきっとこの絵で夢想できるでしょう」という手紙を添えて、描き上げた絵を渡した。「死の島」という絵だ*1。
壁にかかった絵を毎日眺めながら、未亡人は何を感じ、どのように変わったのだろうか。残念ながら、個人の状態そのものを、後世の人間が自分の感覚の上に再現することは出来ない。出来るのは、もっと大きな社会的文脈において、想像することである。この絵は、ドイツで爆発的な人気を博した。その理由を筆者は次のように推測している。
それはもう、ベックリンの絵画がきわめてゲルマン的だったため、というしかありません。「ゲルマン的」という言葉を定義するのは難しいですが、いわばキリスト教との融合以前の、緊張をはらんだ生命力の横溢と、内的世界への深い探求を特色とする、といえましょうか。一見、静謐に見える『死の島』の画面にも、抑え込まれた激しいエネルギーが感じられないでしょうか。(PP163−164)